2003年8月。世界を震撼(しんかん)させたSARS(重症急性呼吸器症候群)もようやく終息かという頃、北京の人民劇場で『北街南院』という現代劇を見た。SARSを題材にしたオリジナル作品である。感染者が出たために封鎖された共同住宅を舞台に、非常事態の中での人間模様を描いている。出演者は日本でも人気だった故朱旭氏をはじめ、中国のトップスターが集結し、満杯の客席からは終始笑いが起きていた。(ノンフィクション作家・青樹明子)
ラストシーン、封鎖が解け、いつもの静けさを取り戻した住宅内で、主役の朱旭氏が穏やかな表情で言う。「(今思えば)隔離も(それなりに)よかったねえ」。割れんばかりの拍手が起きた。困難を共同体験したものだけが分かる感情の共有があった。
最近、日本でも「コロナ離婚」という言葉が出ているが、この劇が上演された頃は「SARS離婚」が中国で社会問題となっていた。家に閉じ籠もっている間に家族関係がこじれ、中でも同居中の嫁しゅうとめの仲が悪化し、離婚に至るというケースが頻発したのである。
それから17年。新型コロナウイルスの流行で、再び似たような現象が起きた。広東省の30代某女性。コロナで失業した夫とともに、家に籠る生活が約2カ月続いた。その間2人はけんかが絶えず、顔を合わせると言い争いが始まる。「生活費どうするの!」「家事や育児、もっと手伝ってよ!」「いい大人がゲームばかりやらないで!」…。外出禁止が解けた後、彼女が最初にしたことは、弁護士事務所を訪れることだった。
湖南省の某市では、離婚申請者が長い行列を作り、担当職員は、水を飲む時間もなかったという。「1日に処理した件数はこれまでで最高を記録した。外出禁止の中で、生活上の些末なことがどんどんふくれあがり、ついには婚姻への失望感につながった」
上海市で離婚を専門に扱う張弁護士(仮名)によると、3月上旬、外出禁止令が解かれた後、離婚相談案件は25%増になったという。「どんな夫婦でも、狭い空間で顔を突き合わせている時間が長くなればなるほど、相手の嫌いな面が見えてくる。夫婦だけではなく、全ての人間には空間が必要なのである」
コロナに端を発した離婚急増は、政府に衝撃を与えている。一人っ子政策撤廃後も、出生率が期待したほど上がらなかったが、封鎖中に少しでも改善されればと願っていたからである。某地方都市では、「夫婦が寝室に籠ることは、国家への貢献になる」というポスターも出現したという。
疫病は本当に怖い。病気に負けない身体と同時に、強い精神力がなければこの闘いには勝てないと、改めて思った。