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外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」 ダイヤモンド・プリンセス号で何が起きていたの

目安時間:約 10分

 

外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」

ダイヤモンド・プリンセス号で何が起きていたのか

4/25(土) 12:00配信

J-CASTニュース

 中国の武漢に始まり、韓国やイランを経て、欧州から米国へと広がった新型コロナウイルスは、今や日本でも深刻さを増している。

今身の周りで起きつつあることを、冷静にとらえるために、ぜひとも考えてみたいことがある。それは、日本で最初に起きた爆発的な感染の場、「ダイヤモンド・プリンセス号」(以下「DP号」と表記)で何が起きたのかを検証することだ。

■船内で目立った「旅行弱者」

2020年4月13日夜、「さっぽろ自由学校遊(ゆう)」で、注目すべき講演があった。演題は「DP号の真相」。北海道・札幌市が12日、緊急共同宣言を出して自粛を呼びかけたため、主催者は参加人数を絞り、会場に来たのは、メディアを含め15人。それがもったいないと思えるほど核心に迫る講演だった。

講演したのは札幌在住で、ケアリング・コミュニティ研究会代表の千田(ちだ)忠(ただし)さん(77)だ。

地元では元酪農学園大教授の教育学者として知られるが、ここでは二度にわたって厚生労働省に「要請文」を出した「DP船内隔離生活者支援緊急ネットワーク」代表として、その体験談をご紹介したい。

初めに、千田さんがなぜDP号に乗り合わせたのかを書いておきたい。DP号にはつねに「豪華客船」の形容がつきまとい、偏見や誤解がつきまといがちであるからだ。

千田さんは大学を退官した10数年前から、高齢者の生活環境を探るフィールド調査の場として岡山県真備町に通い詰めた。2018年7月、西日本豪雨に見舞われたあの真備町である。往復にはいつも、片道約2万円で心身が寛げる小樽―舞鶴の新日本フェリーを利用し、船旅のよさを知った。

「初春の東南アジア大航海16日間」のDP号に妻と乗船したのも、若者の反中デモで揺れ動いた香港や、若いころに反戦運動で関心を寄せたベトナムを見たいと思ったからだ。

「豪華客船」と呼ばれるクルーズ船だが、最高級の特別室もあれば、小さな部屋もある。

正規料金で売り出しても空き部屋があれば、次々に小規模、零細代理店が引き継いで割り引きをし、安値では1人10数万円になる。

DP号は船籍が英国、所有が米社、建造は日本の長崎造船である。定員2706人、乗員1100人。部屋は旅行直前まで安値で取引されるので、今回もほぼ満員だった(国立感染症研究所のHPによると、帰港時に乗客2666人、乗員1045人)。18階建てマンションがほぼ満室だった状態を想像すればイメージをつかみやすい。

千田さんによると、乗客のうち日本人は5割以下。米・豪の旅行客が多かった(2月5日付朝日新聞夕刊によると乗客は56か国・地域に及ぶ)。乗員のうち管理部門は欧米系だが、長時間労働をする大半はフィリピンやインドネシアなどアジア系だった。アジアの労働者に支えられ、多国籍の乗客が乗り込み、欧米資本が潤うという構図だ。

目立ったのは、高齢者や車イスの客、杖をついて歩くパーキンソン症の人などの「旅行弱者」だった。移動する必要が少なく、いつでも休むことのできる環境が、いざ感染になると裏目に出てこうした人々を疲弊させた。

船内には日本の領海外で開かれるカジノ会場や、ショーを公演する大きなステージ、ダンスホール、ジム、映画館などがあり、「参加・創造型」とは対極にある「享楽・享受型」のエンターテインメントが主流だった。

■横浜帰港直前の船内であった決定的だったこと

DP号は1月20日に横浜を出港し、鹿児島、香港、ベトナム、台湾、沖縄を経て2月3日に横浜に帰港した。千田さんらが異変を感じたのは、2月1日の沖縄寄港時だ。下船した乗客は、武漢での感染拡大の影響で、午後6時まで4~5時間の検温、問診などの検疫を受けた。那覇市内に行けないまま再びDP号に戻る人も少なくなかった。

実はこの日は、DP号から1月25日に香港で下船し、同30日に発熱した客が、新型コロナウイルスに感染していると確認されていた。米紙ニューヨーク・タイムズによると、香港当局は直ちに船会社に緊急メールを送ったが、それが翌日まで放置され、感染者確認を知った船会社も、同3日に清掃の強化という低レベルの汚染対策を取っただけだった。

この2日から横浜に帰港する3日までが汚染拡大においては決定的だった、と千田さんはいう。その間、船内では下船直前の祝賀イベントが盛大に行われ、ショーやダンス、音楽会などで、どこも人が混みあい、立錐の余地がないほどだったという。

千田さんはこれまで、リスクマネージメントの進行を総体としてとらえるモデルを考えてきた。これは、広義のリスクが「四つの段階」を経て、重なりながら進むプロセスをモデル化したものだ。

それによると、危機は(1)ハザード段階(武漢での汚染など潜在リスクの存在)(2)リスク段階(陽性の感染者発見など)(3)クライシス段階(危機の進行過程)(4)ダメージ段階(生死にかかわる重大局面の発生)という順で展開していく。

DP号の場合、香港で下船した客が陽性と確認された2月1日の(2)の時点から横浜に帰港する同3日までの間に、緊急連絡の放置と汚染に対する処置の不徹底という理由で(3)の段階が進み、(4)に至ったということになる。

だがDP号の場合、帰港は終着点ではなく、長く続く混乱の始まりになった。政府は3日、乗員乗客の下船を許可せず、翌4日にかけ、検疫官による全乗客・乗員の健康診断と、症状のある人やそれと濃厚接触のあった人から喉頭ぬぐい液採取を行なった。

千田さんの場合は、妻に一時、航海中インフルエンザの症状が出たため、3日の午後11時過ぎ、紺色の防護服にフェイスガードをつけた検疫官3人が船室のドアをノックし、夫婦から喉ぬぐい液を採取していった。

乗客は翌4日に下船予定で、荷造りをしたスーツケースを廊下に出して準備する人も多かった。しかし、船側からは何の連絡もなく、午後3時半近くになって突然、「検体を持ち帰って調べるので今夜は停泊します」とアナウンスがあった。

5日に加藤勝信・厚労相は、発熱やせきなどの症状がある人とその濃厚接触者273人の検体を採取し、うち31人の結果から、10人の感染が確認したことを明らかにし、検疫期間の14日間は船内に留まるよう求めた。

厚労省は7日までに全検体の検査結果が判明し、陽性が計61人に達し、うち重症が1人だと発表した。厚労省は陽性が判明した人々を下船させて東京、埼玉、千葉、神奈川、静岡5都県の医療機関に入院させた。陰性になった残りの人々は、検査を受けていない人と共に引き続き船内に留まり、原則客室待機になった。

だが、乗客は5日に船室待機と14日間の検疫を知らされて以降、ほとんどまとまった状況説明や支援内容、下船までの見通し(ロード・マップ)について説明を受けなかった。厚労省の連絡先に電話しても、いつも通話中で、たまにだれかが電話に出ても「担当者がいないので分かりません」といわれ、「後で連絡するから」と告げられても返事は返ってこなかった。陽性が判明した人は、30分前に電話で知らされ。電話から30分後には救急車で搬送されるという慌ただしさだったという。

悪化する船内環境に不満や非難の声が出始めたころ、7日の午前中に千田さんは、スマホに流れた一枚の写真に衝撃を受けた。

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引用:外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」 ダイヤモンド・プリンセス号で何が起きていたのか

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