世界の巨匠監督たちが絶大なる信頼を寄せる日本を代表する国際派俳優。近年もハリウッドの話題作への出演が相次ぐ。
【写真】「どこから話が来てもOKなように心を開いている」と語る國村隼
「カナダに台湾、セルビア、タイ、中国…。ここ数年、1年の半分以上は、撮影のために海外で過ごしていますね」
海外からの出演依頼が相次ぐ一方、国内の映画監督たちからの依頼にもこたえ続けてきた。
多忙な撮影スケジュールの間隙を縫い、日本で撮影された新作映画「ステップ」。新型コロナウイルスの影響で封切りはまだだが、注目の一作として話題を集めている。
結婚3年目。30歳で妻、朋子に先立たれ、幼い1人娘を育てる会社員、健一(山田孝之)。朋子の父、明(國村隼)は娘亡き後も彼を実の息子のように気にかけていた…。
作家、重松清の同名小説の映画化。試写を見た重松は國村の熱演に感動、「明の気持ちを新たに書いてみたいという欲求が芽生えた」と語っている。
「原作者にそう言ってもらえるのは役者として光栄です」と謙虚に語る。
映画では健一親子の10年の成長を描く。明はこの10年の間に老いていき、病に倒れる。
「孫娘に自分が寝込むぶざまな姿は見せられない」。会いたいが、会えない葛藤に苦しむ明の流す涙が、見る者の胸を締め付ける。
「本来、俳優が涙を流して悲しむのは望ましくない表現だと思う」。この演技論を信じてきたが、「思わず涙が込み上げてくることはあります。俳優としてあるまじき演技だったかもしれませんが…」と苦笑した。
国際派の一方、理論派としても知られる。
「脚本は映画の設計図。俳優はこの設計図に合わせて演技プランを練っていきます」
エンジニアを目指し、難関の大阪府立高等工業専門学校へ進んだ後、俳優の道へ転身した“理数系俳優”らしい独自の演技理論を持つ。
1981年。井筒和幸監督の「ガキ帝国」で映画俳優としてデビュー。その数年後、米映画界の重鎮、リドリー・スコット監督の大作「ブラック・レイン」にオーディションで選ばれ、ハリウッドデビューを果たした。
ニューヨーク市警に追われる日本のギャング、佐藤(松田優作)の子分役で出演。すごみある日本の悪役は鮮烈なイメージを海外映画界に植え付け、その後、香港映画界の大御所、ジョン・ウー監督やハリウッドの鬼才、クエンティン・タランティーノ監督ら世界から出演依頼が舞い込む。
来日中のタランティーノ監督から「すぐホテルへ来てほしい」と呼ばれ、出演したのが世界で大ヒットした「キル・ビルVo.1」(2003年)だった。
16年には韓国映画「哭声/コクソン」に出演。気鋭、ナ・ホンジン監督の熱烈なラブコールを受け、山中に潜む謎の男を熱演し絶賛され、韓国のアカデミー賞と呼ばれる映画祭で男優助演賞を受賞。海外俳優として初の快挙だった。
日本と海外の撮影現場の違いを聞くと、「監督、カメラ、照明の前で演技する…。俳優の仕事は世界共通。大きな違いはありませんよ」と即答した。
日米海戦を描く「ミッドウェイ」や、70年代、熊本県の水俣病の惨状を世界に伝えようと苦闘した写真家、ユージン・スミスを描く「ミナマタ」など今年、日本公開予定の米大作に出演。ハリウッド俳優たちとの“競演”に精力的に挑み続ける。
「演じたい役は特にありませんが、共演してみたい俳優はいます」
誰かと聞くと、「その1人はジョニー・デップです」と教えてくれた。
「ミナマタ」でその希望がかなった。「オープンセットが組まれたセルビアでのデップとの初共演を、ぜひスクリーンで見てほしい」と笑顔で映画ファンに呼びかけた。
「ステップ」では家族思いの優しい日本の父を、「ミッドウェイ」では国家を背負う日本軍人を演じる。製作規模に違いはあれど、「演技は世界共通」と信じて。
(ペン・波多野康雅/カメラ・南雲都)
■國村隼(くにむら・じゅん) 1955年11月16日生まれ。64歳。大阪市出身。81年、「ガキ帝国」で映画デビュー。97年、「萌の朱雀」で映画初主演。ドラマにも多数出演。2006年、NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」で人気が全国区に広がる。映画の近作は「アルキメデスの大戦」(19年)、「見えない目撃者」(同)、「影裏」(20年)など。米大作「ミッドウェー」と「ミナマタ」が今年公開予定。