大森隆志さんが明かす「サザン時代の自分は地上2m上をフワフワ浮いていた」【ロフト

 

大森隆志さんが明かす「サザン時代の自分は地上2m上をフワフワ浮いていた」【ロフト創業者が見たライブハウス50年】

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日刊ゲンダイDIGITAL

大森隆志さん(提供写真)

 

【ロフト創業者が見たライブハウス50年】#13

 瞬く間に国民的スーパースターになったサザンオールスターズだが、ロフトでライブをやっていた頃は客は数人しか入らないし、身なりは薄汚いし、売れるとは思わなかった。正直に言って……身近にいたサザンのブレークを見抜けなかったのが悔しい。ギターのター坊(大森隆志=2001年に脱退)に「桑田(佳祐)さんの才能が開花すると思っていたか?」とズバリ聞いてみた。

◇  ◇  ◇

大森「もちろん! 思ってた! 桑田の唯一無二のメロディーセンスに作詞のユニークさ、早口で巻き舌の歌唱法も含めて桑田しか持ち得ない才能があった。メッセージソングからラブバラードまで引き出しも多い。あれだけバラエティーに富んだ楽曲を生み出せるミュージシャンなんてアイツくらいしかいませんよ」

平野「そんなサザンは日本のロックの<何>を変えたと思ってる?」

大森「日本語のロックの概念を変えたと思いますよ。たとえば桑田は『もっと最高ぅ~!』を『Motor Cycle!』って聴こえるように巻き舌で英語っぽく歌っちゃう。これは発明というしかないですよ」

平野「それにしてもロフト時代は集客が……」

大森「レコードも出してないアマチュアバンドですから。(渋谷のライブハウス)屋根裏の昼の部に出たら、お客さんが3人だった(笑い)。まだロフトの方が入った」

平野「ター坊を怒鳴ったことがあったな。ロフトのステージに立っているバンドが屋根裏の、それも(客が入らない)平日昼の部に出やがって。ウチのメンツ、丸つぶれじゃないか! って」

大森「サザンも、しょせんは平日の昼間バンドだったということ。それがありがたいことにロフトに出させてもらっていました。感謝しています」平野「サザンは破竹の勢いで売れていった。テレビの常連にもなった」

大森「同じ歌番組に森進一さん、ジュリー、和田アキ子さんたちがいるわけですよ。オレたちはステージでも普段着。完全に別世界でしたね」

平野「2001年に脱退することになった」

大森「サザンは人生そのもの。独立してから1年は放心状態。ギターにも触れなかった。今でもメンバーはもちろん、お世話になった(ビクターの)高垣さん、(事務所アミューズの)大里さんへの感謝の気持ちを忘れたことはありません」

平野「いいね! 最後にター坊のバンドが存在している限り、日本のロックは永遠に不滅! で締めくくっていいかな」

大森「変な汗が出てきちゃった(笑い)。これまでの人生、いろいろあったけど音楽だけは捨てようがない。サザン時代の自分は<地上から2メートルくらい上>で生活していたような気がする。フワフワ浮いていたような感じかな。ちゃんと地に足をつけ、まだまだやれることがいっぱいあると信じながら頑張ります。自分にとって音楽とギターは<最高の伴侶>ですからね!」

(平野悠/「ロフト」創業者)

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引用:大森隆志さんが明かす「サザン時代の自分は地上2m上をフワフワ浮いていた」【ロフト創業者が見たライブハウス50年】