宮内庁の心溶かした“純水”な思い 仁徳天皇陵…世界遺産化に秘話





宮内庁の心溶かした“純水”な思い 仁徳天皇陵…世界遺産化に秘話

6/6(木) 7:00配信

産経新聞

 国際教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関イコモスによる勧告で世界文化遺産への登録がほぼ確実になった百舌鳥(もず)・古市古墳群。平成19年、現在の堺市世界文化遺産推進室の初代室長に就任し、道なきところに道を敷いた藤木博則さん(67)が心を砕いたのは、仁徳天皇陵古墳(大山古墳、同市堺区)などの陵墓を所管する宮内庁との折衝だった。藤木さんが「不思議な縁もあった」と振り返る世界遺産登録勧告の秘話とは-。(古野英明)

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 ■初代室長に就任

 藤木さんが世界遺産関係の仕事に関わるようになったのは15年ごろ。当時の木原敬介市長から「仁徳陵を何とか世界遺産にできないか」と仁徳陵の調査研究を命じられたのがきっかけだ。当時はまだ「世界遺産」を前面に出すわけにはいかず、“極秘プロジェクト”的な案件だった。

 「検討した結果、現状では難しいということになった」と藤木さん。「ただ、『できません』とはいえないので、仁徳陵だけでなく堺全体を歴史文化都市として構築、その結果として世界遺産に結びつけば-という方向性を打ち出した」という。

 その後、外郭団体への出向などを経て19年4月、現在の世界文化遺産推進室の前身、歴史文化都市推進室の室長に就任。以降は有識者会議の設置、シンポジウム開催、地元住民らとの協力態勢の構築など「基礎づくり」に東奔西走した。

 ■“下心”なしの濠浄化

 景観上の問題、周囲の環境、大阪府や藤井寺市、羽曳野市との連携、民間での機運醸成、世界遺産を統括する文化庁との関係づくり…。古墳群を世界遺産として登録させるためには、さまざまな課題があったが、中でも神経を使ったのが、宮内庁との調整だった。

 仁徳陵などを歴代天皇や皇后、皇族の陵墓として管理し「静安と尊厳が必要」として立ち入りも厳しく制限してきた宮内庁は「大勢の観光客が訪れる世界遺産はいかがなものか」という立場だった。しかし、世界遺産登録には宮内庁の承諾は必須。藤木さんは宮内庁の担当者と面会を重ねた。

 「当初は、やはり難色を示されたが、『地元として御陵を守っていきたい』という強い決意をお伝えしているうちに、軟化してきたように感じた」

 意図せず行ったことが宮内庁の理解を促したことも。実は世界遺産の話が持ち上がる前、水質が悪化した仁徳陵の外濠に市が工業用水を引き込み、水を入れ替え浄化させたことがあった。宮内庁サイドはどこかでこの話を聞いたようで、いつからか担当者は「地元の協力なしで御陵の保全はできない」と言ってくれるようになったという。

 「水の入れ替えは下心があってのことではなく、純粋に御陵をきれいにしたいという心からやったこと。地元の意思が伝わったのは先輩たちのおかげです」

 19年、「宮内庁の一定の理解は得られた」として大阪府や堺市などは、世界遺産の暫定リストに百舌鳥・古市古墳群を提案。22年、リスト入りを果たした。

 ■早く分かっていれば…

 藤木さんは、その前年の21年に市長公室長へ異動し、世界遺産登録実現を後任に託したが、その後も、宮内庁や古墳群とは不思議な縁を感じてきたという。

 面会を重ねた宮内庁担当者が、友人の妻のいとこだったことが判明したことも。「その方には本当に親切にしてもらったが、もう少し早くわかっていれば…」

 古墳群は3回にわたって国内推薦獲得に失敗し、結果的に令和元年の節目の朗報につながったが、「今思えば何かの縁では」と藤木さん。16年に外郭団体に出向して仁徳陵の調査研究を担当していたとき、同団体の理事長に招いたのが「令和」の発案者とされる中西進氏だったことにも「“大いなる意思”を感じた」と振り返った。

引用:宮内庁の心溶かした“純水”な思い 仁徳天皇陵…世界遺産化に秘話