やはり“世界の王”は違う! 胃がん手術で痩せ、声は細くなっても“眼光”鋭く…「こ





やはり“世界の王”は違う! 胃がん手術で痩せ、声は細くなっても“眼光”鋭く…「これは大丈夫だ!」

6/1(土) 16:56配信

夕刊フジ

 【時代を超える名調子】

 ソフトバンクの王貞治監督(現球団会長)と過ごした平成の時代は、私にとって楽しくて、ためになって、元気を頂いて輝きの日々だった。

 しかし、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)制覇からわずか3カ月後の2006年(平成18年)7月5日、衝撃の出来事が発生した。福岡ヤフードーム(現ヤフオク!ドーム)での西武戦のプレーボール直前、試合終了後に王監督の記者会見が行われると球団から発表があったのだ。

 「なんだ、なんだ」

 記者席は浮足立った。その日は皆ゲームの行方どころではなく、会見に気が行ってしまうような時が流れた。

 インタビュールームのテーブルには、十数本のマイクが立ち、ムービーやスチールカメラが待ち受ける中、王監督が球団関係者とともに現れ重大な報告をした。

 「胃に腫瘍が見つかったので治療に専念し休養する」

 それも、症状は軽くないと感じさせるものだった。記者会見場のみんながポカンとし、表情が消えた。混乱しているのが分かる。私自身もそうだ。王監督が短い会見を終えて退席した後も、力が抜けてしまって数十秒間身動きできなかったことを覚えている。王さんの存在がそれぞれの心の中で、いかに大きな存在となっているのかを改めて感じさせられた。

 “選手が泣いた”

 “ファンが泣いた”

 “福岡が泣いた”

 野球都市・福岡の経緯を振り返ると、郷土の誇り西鉄ライオンズの黄金時代から身売り移転、フランチャイズ球団不在の時期を迎えるに至る。どんなにつまらなかったことか。その後、念願の球団誘致に成功し、ダイエーホークスがやって来る。しかし低迷。その“弱鷹”の救いの神として、世界の王貞治が降臨したのだった。

 福岡が全国、いや世界に胸を張れる人材がやってきてくれた。そして初優勝に導き、常勝チームに引き上げた。巨人長嶋茂雄監督とのON対決も実現させた。一方、市民目線で街中でラーメンを食べ歩いたりもする。コミュニケーション豊かな超庶民派英雄。

 その王さんの病状は毎日のようにニュースで伝えられ、心配の日々が続いた。祭りなどにぎやかな行事も盛んな地域だが、いまひとつ盛り上がりに欠ける気がした。私たちの放送局にも折り鶴づくりや子供たちのお手紙など、市民やファンからの激励の話題が届いていた。

 みんなで回復を願う一体感があった。

 そして休養からおよそ1カ月後、大がかりな胃の腫瘍摘出手術は成功し、術後も順調で退院。ホッとした。まちのそこここで「よかったね」「よかったね」の声が聞こえてくる。町にちょっぴり明るさが戻ったが、心配は続いた。「これでユニホームを脱いでしまうのではないか?」「グラウンドでその姿が見られなくなるのでは?」と。

 「無理はしていただきたくないが、もう1度指揮を執ってほしい」と多くの関係者、市民は熱望。私も回復ぶりなど経過に注目していた。

 だが、やはり“世界の王”は違う。強い意志のもとに蘇るのだった。同年9月29日、休養発表後初めてヤフードームを訪れ、シーズン最終戦セレモニーに参加したときのことを思い出す。

 かなりスレンダーになり、油気もすっかり抜けた様子でグラウンドに立った。私は代表してインタビューをする役割だった。王さんの姿を拝見して「よくぞ帰ってきてくれました」と胸が熱くなった。

 インタビューに答える声は弱々しかった。口の回り方もシャープではなかった。しかし、「またユニホームを着てファンとともに戦う」と言い切り、病床で見つめていたチームについて語り始めた頃、私は気づいた。その眼光の鋭いことに。

 「これは大丈夫だ!」。車のウインドーを下ろし、私を見て激励してくれたときのギョロ目と同じだったからだ。

 ■小野塚康之(おのづか・やすゆき) 1957年(昭和32年)5月23日、東京都生まれ。80年(同55年)、学習院大からNHKに入局。以降40年間、主に高校野球、プロ野球の実況を担当し、名物アナウンサーとして活躍した。今年3月にNHKとの契約を終了しフリーに。現在もDAZN、日テレジータスなどでプロ野球実況に携わっている。

引用:やはり“世界の王”は違う! 胃がん手術で痩せ、声は細くなっても“眼光”鋭く…「これは大丈夫だ!」