著者
ユヴァル・ノア・ハラリ (Yuval Noah Harari)
歴史学者、哲学者。
1976年、イスラエル、ハイファ生まれ。
オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して2020年に博士号を取得。現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えるかたわら、2018年のダボス会議での基調講演など、世界中の聴衆にむけて講義や講演も行う。
著書『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21 Lessons』は、世界的なベストセラーとなっている。
本書の要点
- 要点1:いま人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではない。それは人間どうしの信頼の欠如のせいであり、決定的な闘いは人類そのもののなかで起きている。
- 要点2:私たちはいま、歴史が加速する時期に差しかかっている。今後2、3カ月の間に、途方もない規模の社会的・政治的実験が行われ、それが社会を根本的に変えるだろう。
- 要点3:私たちは2つの重要な選択を迫られている。第一の選択は「全体主義的監視か国民の権利拡大か」というもので、第二の選択は「ナショナリズムによる孤立かグローバルな団結か」というものだ。
本書の要約
人類は新型コロナウイルスといかに闘うべきか
感染症への本当の対抗手段
多くの人が新型コロナウイルスの大流行をグローバル化のせいにし、感染爆発がふたたび起こるのを防ぐためには、脱グローバル化するしかないと考えている。
しかし長期の孤立主義政策は、真の感染症対策にはならない。
むしろ正反対で、感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離ではなく協力なのだ。
感染症はグローバル化時代のはるか以前から、膨大な人命を奪ってきた。
14世紀、ペストは10年そこそこで東アジアから西ヨーロッパまで広がり、ユーラシア大陸の人口の4分の1を超える人々が亡くなった。
1918年に流行したスペインかぜは、第一次世界大戦での戦死者を上回る人の命を奪った。
それ以降の100年間、人口の増加と交通の発達が相まって、人類は感染症に対してさらにぜい弱になったはずだ。
ところが実際には、感染症の発生率も影響も劇的に減少している。
最善の防衛手段は隔離ではなく情報
21世紀に感染症で亡くなる人の数は、石器時代以降のどの時期と比べても少ない。
これは、病原体に対して人間が持っている最善の防衛手段が、隔離ではなく情報であるためだ。
20世紀には、世界中の科学者や医師や看護師が情報を共有し、感染症の流行の背後にあるメカニズムと、その対抗手段を突き止めるようになった。
天然痘は1967年の時点で1500万人が感染し、そのうち200万人が亡くなるような感染症であった。
しかし予防接種が世界中で推進されたことで、1979年には天然痘の根絶が確認され、世界保健機関が人類の勝利を宣言した。
この歴史は、現在の新型コロナウイルス感染症に対して、何を教えてくれるだろうか。
新型コロナウイルス感染症の意味
歴史が教えてくれるのは、国境を閉鎖し続けても自国を守るのは不可能であること、そして真に安全を確保するためには、信頼のおける科学的情報の共有とグローバルな団結が不可欠ということだ。
最も重要なのは、どこであれ一国における感染症の拡大が、全人類を危険にさらすということだ。
もし天然痘の予防接種を怠っていた国があったなら、ウイルスは変異し、人類全体を危機に陥れていただろう。
いま人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。
もしこの感染症の大流行が人間の不和と不信を募らせるのなら、それはこのウイルスにとって最大の勝利となるだろう。
コロナ後の世界
「石鹸警察」はなぜ不要か
人類はグローバルな危機に直面している。それは私たちの世代にとって最大の危機かもしれない。
これから人々や政府が下す決定は、何年にもわたって世界の進む方向を定めるだろう。
この危機に臨むうえで、私たちは2つの重要な選択をつきつけられている。
第一の選択は「全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か」というものだ。
そして第二の選択は「ナショナリズムとそれに基づく孤立か、それともグローバルな団結か」というものである。
本の要約サイトフライヤーから引用
https://www.flierinc.com/