著者

 

近内悠太 (ちかうち ゆうた)
1985年神奈川県生まれ。教育者。哲学研究者。
慶應義塾大学理工学部数理学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。専門はウィトゲンシュタイン哲学。リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師。教養と哲学を教育の現場から立ち上げ、学問分野を越境する「知のマッシュアップ」を実践している。
本書『世界は贈与でできている』がデビュー著作となる。

本書の要点

 

  • 要点1:生きる意味や仕事のやりがい、大切な人とのつながりなど、とても大切なのにお金で買えないものは、他者から贈与してもらうことでしか手に入らない。
  • 要点2:贈与は、贈与だと気づかれてはいけない。気づかれれば商品の売買のような「交換」になってしまう。
  • 要点3:贈与は交換と違い、瞬時に完了しない。差出人にとっては「届いてくれるといいな」と未来形で、受取人にとっては「すでに受け取っていた」と過去形で完了するものだ。
  • 要点4:贈与の差出人は、与えるだけの人ではない。他者へ贈与するという行為を通して、逆にさまざまなものを受け取っている

 

本書の要約

 

「お金で買えないもの」の正体

もらったプレゼントには、なぜ価値があるのか

 

本書では、信頼関係や助け合いのようにお金で買えないもの、およびその移動をひとまず「贈与」と呼ぶことにする。

 

しかし「お金で買えないもの」という定義では、それらが何であるか一向に理解できない。

 

お金で買えないものは、どうやって手に入れたらよいのか。どこから私たちのもとにやってくるのか。

 

贈与のいちばんわかりやすい例が、プレゼントである。

 

なぜ互いにモノを贈り合うという慣習があるのだろうか。

 

それは誰かからプレゼントされた瞬間、モノがただのモノではなくなり、商品の価値からはみだす「特別な何か」が付与されたと感じるからだ。

 

だから私たちは他者から贈与されることでしか、本当に大切なものを手にすることができないのである。

 

贈与の中でしか生きていけない人類

 

なぜ私たち人間は他者と協力し合い、助け合うのか。どうして一人では生きていけなくなったのか。

 

それは人類が、きわめて未熟な状態で生まれてくることに端を発する。

 

乳幼児を抱えた母親は、数年間にわたって食べ物を自分の力で採取することができず、子育てを周囲の人間に手伝ってもらわなければならなかった。

 

つまり人類は黎明期から、「他者からの贈与」「他者への贈与」を前提として生きていくことを運命づけられてしまったのだ。

 

ギブ&テイクの限界点

 

ビジネスの文脈だと、相手に何かをしてほしかったら、対価を差し出すしかない。

 

しかし「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」というギブ&テイクの世界には、信頼関係が存在しない。

 

そこでは、他者はあくまでも手段でしかない。裏を返せば、信頼は贈与の中からしか生じないのだ。

 

ギブ&テイク、つまり交換の論理が徹底された資本主義の世界では、死ぬその瞬間まで一瞬も休むことなく、商品を買い続けなくてはならない。

 

たとえすべてを失った人であっても、「助けて」と叫ぶことができない世界だ。

 

そんな誰にも頼ることができず、誰からも頼りにされない状態を、私たちはこれまで「自由」と呼んできたのである。

 

名乗らない贈与者、サンタクロース

贈与が「呪い」になるとき

 

ギブ&テイクの関係ではないつながりは、本質的に贈与的なつながりとなる。

 

私たちは知らず知らずのうちに、贈与を通して他者とつながっている。

 

しかし贈与の力は、自らと他者を縛りつける「呪い」ともなる。

 

それは誰かとのつながりを求めながら、同時にそのつながりに疲れ果てるという相矛盾した状態だ。

 

なぜこんな状態が生まれるのか。「贈与は、それが贈与だと知られてはいけない」からである。

 

贈与であると知られてしまえば、受取人には返礼する義務が生まれ、単なる交換になってしまう。

 

もし受取人が何も交換するものを持っていなければ、返礼の義務は受取人を押しつぶす呪いとなるだけだ。

 

一方で、ずっと気づかれない贈与は、贈与として成立しない。

 

贈与したそのときではなく、未来のある時点で「あれは贈与だった」と気づいてもらう必要がある。

本の要約サイトフライヤーから引用