著者
浅生鴨(あそう かも)
作家・広告制作企画者
1971年神戸市生まれ。IT、イベント、広告、デザイン、放送など様々な業種を経て、NHKで番組を制作。NHK在籍時に、同放送局の広報局Twitterを「NHK_PR1号」として担当。そのつぶやきの内容が「公式アカウントなのに、ユルすぎる! 」と話題になる。2014年7月末にNHKを退職。小説、エッセイなどの執筆活動をおこなう。
著書に『中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?』、『アグニオン』(新潮社)、『猫たちの色メガネ』(KADOKAWA)、『伴走者』(講談社)、『どこでもない場所』(左右社)がある。
本書の要点
- 要点1:アイデアとはアウトプットである。どんなに素晴らしいアイデアでも、頭の中から出ない限りアイデアとは呼べない。
- 要点2:妄想を無限に広げていくコツは、誰かに褒められようとせず、自分が楽しければいいと開き直ることだ。周りの目を気にせず、自分が好きなもの、面白いと思うものを追求しよう。
- 要点3:思いついたことは、まずは書いてみよう。デタラメでもラフでも、とにかく文字や形にしてみる。そこがアイデアの出発点である。
本書の要約
妄想のルール
アイデアはアウトプット
アイデアとは何か。
発想、着想、企画、思いつき、ひらめき、工夫、オリジナル、発見、創造、想像……。
どれも正しいが、著者は、仕事としてのアイデアとは「単なる思いつきやひらめきではなく、目の前にある課題を具体的に解決する道筋」であると考えている。
数学の図形問題で、たった一本の補助線を引いた途端、急に解き方が見えることがあるだろう。
著者にとってアイデアとは、そんなイメージであるという。
課題を解決するためには、アイデアも具体的でなければならない。
どれだけいいことを考えていても、外に出てきていなければ、それはアイデアと呼べない。
アイデアとは具体、つまりアウトプットなのである。
自分では上手くイメージできているつもりでも、それはたいていの場合、モヤモヤとした感覚的なものにすぎない。
それを具体化しようとすると、何かが足りないことに気づくだろう。
だからまずは、言葉や絵にしてみよう。
誰もが見られる具体的な形にしてはじめて、その感覚はアイデアの種になる。
デタラメでもラフでもいい。
まず、書いてみる。何も思いつかないなら、「何も思いつかない」と書いたり、なぜ思いつかないのかを書いてみたり、「思いつかないぞ」と声に出したりしてもいい。
一本の線を引くだけでも、図形や記号を描くだけでもいい。
そうしてしばらく発散させていると、ようやく自分の書きたかったことに気づくだろう。
妄想を栽培する
何かの課題があるときは、とにかくたくさん考えることだ。
それも、単純に考え続けるのではなく、できる限りいろいろな方向に妄想を広げるようにする。
妄想の行く末は気にせず、ただひたすら考えてみる。
不必要なこと、無関係なことを延々と考えるのは効率的でないように思うかもしれないが、決して無駄なことではない。
ものを考えることは、植物の栽培に似ている。
アイデアの種をまき、水をやり、出た芽の中から有望なものを育てて形にする。
花が咲くかはわからない。
しかし種をまかないことには始まらないし、まいても芽がでるとは限らない。
だから、アイデアの種はできるだけ多く集めておく。
妄想とはこの、種を集める作業に他ならない。
著者は、課題を与えられてから種探しを始めるのではなく、すでに頭のどこかにある種を呼び出すことが多いという。
日ごろからおかしな妄想をして、アイデアの種を少しずつ頭の引き出しにしまっておく。
そして発注されたときに、引き出しの中から取り出すのだ。
日ごろから妄想する癖をつけておくと、いざというときに役に立つ。
褒められようとしない
妄想は「ごっこ遊び」の感覚に近い。
目の前にないものを想像して、その世界に浸ること。幼い頃は誰もがやっていたことだろう。
妄想を無限に広げていくコツは、誰かに褒められようとせず、自分が楽しければいいと開き直ることだ。
お人形遊びに熱中する子供やヒーローになりきっている子供のように、周りの目を気にせず夢中になること。
他人の評価を求めてはいけない。
「人に褒められたい」「みんなからすごいと思われたい」などと考えながらの妄想には、夢中になれない。
「こんなこと言っちゃダメなんだろうな」「こういう話をしたら笑われるだろうな」という考えも捨てよう。
そもそも人はあまり褒めてくれないものだ。
本の要約サイトフライヤーから引用